【INTERVIEW】パンク黎明期から現在までを生き抜いた北川哲生が30年ぶりの新アルバムを語る「オルタナティブな道を選択する覚悟を持ちたい」

螺旋やリザードなどで活躍した北川哲生が、2020年12月16日(水)に、30年ぶりの復活ソロアルバム『解放区1984』をリリースする。

日本のパンク黎明期1979年4月に螺旋を結成し、その後、リザード、無限水路、天速などで活躍したが突然、音楽活動を休止した男・北川哲生。彼が30年間の沈黙を破り、制作/完成させた本作は「自分の中のパンクロックを描いた架空のサウンドトラック」として、渾身の作品になったとのこと。

彼は今どんな事を想い、考えているのだろうか。メール上でインタビューをおこなった。

文:ヨコザワカイト


―新アルバム『解放区1984』のリリースおめでとうございます。約30年ぶりの制作とのことで、思い立ったきっかけは何だったのでしょうか? 螺旋のメンバーである楠さんへの追悼の面があるとのお話を拝見いたしました。

北川:螺旋のベーシストだった楠君が10年前に急死したことで、しばらく後からですが、追悼アルバムを作るのはどうかという気持ちが起きて来たのがきっかけです。彼が急死する数日前に、私のところに久々の電話があり、「最近、あのパンクの時代とは何だったのか振り返っている」とのことでした。で、私が今度東京に出た時に、その話題で飲もうという約束をして楽しみにしてました。ですから、その幻の飲み会でどんな話ができたか、とても心残りになっていたんです。こっちとしては、オレにとってのパンクっていうのはこんな感じだよっていうのをまとめてアルバムにすれば、楠に対するメッセージになるだろうというところです。

―北川さんから見て楠さんはどのような方でしたか。音楽の面や思想的な面で北川さん自身に影響はあったのでしょうか。

北川:彼はその当時、完全に新感覚派でした。私のオールドウェイヴ的な側面を批判してましたよ。私自身も新しいロックがやりたかったので、結構影響を受けましたね。ランボー、デュシャン、宮沢賢治が好きで、その辺の好みは私も一致できた半面、私は社会派だったりと、かけ離れたところもあったので、かなり議論もしましたが、その格闘がバンドを面白くすることにつながったかもしれません。

―「解放区1984」というアルバム名からは、ジョージ・オーウェル『1984』を連想させます。北川さんから見て、現代のどのような状況が閉鎖的で、解放させるべきなのでしょうか。

北川:「1984」は20代の頃に読んで、自分にとってのロック衝動の核になりました。テクノロジーの発展が大衆の行動の管理と経済格差を助長するのは明らかで、そこには必ずマインドコントロールが絡んでると思っています。特に今のように不況の時代では、ますます、自由が失われて、自主規制と忖度が当たり前になり、出る杭は打たれるといういじめ社会が固定化する結果を生んでいますよね。この同調圧力の先に未来はないと思うので、大きな意識変革が必要だし、オルタナティブな道を選択する覚悟を持ちたいところです。

―1曲目「解放区1984introduction」から、本当に様々な音が鳴って、しかしそれでいて現実と向き合い切った覚悟が滲むような作品だと感じました。完成してみて、このアルバムはどのような一枚になりましたか?

北川:平凡なアルバムにはしたくないと思っていました。本当の変革とは何なのか?どうすれば突破口を切り開けるのか?答えはどこにあるのか?模索する行為を音にした感じですかね。そんな自分にとっての”今”を表現しました。また、香港のデモの状況と同時進行していたので、中国政府寄りの報道をする日本のマスコミに怒りを感じつつ、民主化が叶うよう祈りながら制作してました。当然今もですが。

―本アルバムを制作するにあたって、必要となった音/必要だった音楽とはどのようなものだったのでしょうか。

北川:今まで聞いたすべての音と音楽、としか言いようがありません。信州に住んでると、川のせせらぎや鹿の鳴き声やスズムシの鳴き声などをよく聴きます。そんな地球の音も、最先端と思しき様々な音楽の音も必要だったと言えます。

―日本語にこだわってきた北川さんが、今回歌詞を無くしインストゥルメンタルで完成させたのはどのような意図があるのでしょうか。

北川:映画音楽がつくりたかったので、歌詞は不要だと考えました。ヴォイスは入れてもよかったんですが…。また、インストの曲をつくった経験が少なかったので、今回は組曲のイメージでチャレンジしようと思いました。

―約30年ぶりの音源制作とのことで、バンドを組まれていた時代と比べてレコーディング環境の変化はやはり大きかったでしょうか。また、それは北川さんの曲の制作に影響を与えたのでしょう?

北川:パソコンでのレコーディングということで、雰囲気はまるっきり違うんだけど、やってることは同じですよね。あと、環境とは別ですが、今回は私としては初めて、思いっきり多重録音を試みました。今までの考えでは、ライブで再現できないような音構成には慎重だったんですが、映画音楽なのでいいだろうと…。

―本アルバムの説明文には、音楽人生の集大成とのことで、「自分の中のパンクロックを描いた架空のサウンドトラック」と書かれていました。「架空のサウンドトラック」という部分について、もう少し教えていただければ幸いです。

北川:「解放区1984」というタイトルの映画が制作中で、音楽を頼まれたという設定です。完全にひとり遊び(笑)。しかし、この設定があったため、いつもの曲作りとは一味違うものが出てきたように思います。映画に思いをはせているわけですから。映画のストーリーまでつくれればもっとよかったんですが、そこはとても難しくて、叶いませんでした。でも、これからも考えたいです。

―ここからは少し話題を返させていただきます。北川さん自身25年の沈黙期間は何をされて、どんなことを考えていたのでしょうか。

北川:オーダーメイドの靴職人を始めたこともあり、また、農業のまね事をやったり、イベントの立ち上げに関わったり、合氣道を習ったり、山に登ったり、釣りをしたり… と忙しい日々を過ごしてました。信州に移住したこともあり、地方から日本を変えていきたいという思いはありました。

―世の中は今年2020年だけでも大きく変わりました。リリースはその点で遅れませんでしたか?

北川:いや、ベストなタイミングだったと思います。曲を作るということは、一人でこもってなきゃできない作業なので、完全に集中してましたね。寝てる間も作曲してるような感じがしてました。この状況も来るべくして来ていると思うし、一つの体験として大切にしたいです。

―音楽に戻ってこられたということは、北川さんの中で衝動が失われなかったということでしょうか。

北川:私は、頭の中がいつでも作曲状態なんです。完成はしないんですが。で、これは死ぬまで変わらないんだろうなとは思ってはいても、活動の必要はないと思っていたんです。でも、5~6年前から、何となくこの人生でやり残したものがあるなと感じ始め、形にしようかと思い始めたんです。

―これは僕の個人的な意見もあるかと思うのですが、北川さんが螺旋で活動されていた時期と今とでは「パンク」の勢いが全く違うかと思います。そのことについて、北川さんはどう思われているのか、最後に是非ご意見をお訊きしたいです。

北川:今の状況に関しては、詳しくないので答えられませんが、40年もたてば状況が違うのは当たり前です。ただ、アートというものは破壊と創造の同時進行が基本だと思うので、中心軸は変わらないはずですよね。パンクも、表面ではないにしろ、隅々にまで浸透しきったとも言えるのではないでしょうか? あとは、自分自身であれ! 流されるな! これしかないでしょう。


■アルバム情報

北川哲生
『解放区1984』

発売日:2020年12月16日(水)
BZA-001
作曲/アレンジ:北川哲生
制作/販売:BORDER ZERO
価格:2,750円(税込)

=収録楽曲=
1.解放区1984introduction
2.Mind Controled Days
3.GOD MACHINE
4.霧につつまれた街で
5.NOSARI
6.消滅の予感
7.明日のPARADOX
8.トキヲコエルモノ
9.After The Game
10.Pulse Of GreatMother
11.解放区1984 eternal theme

日本のパンク黎明期1979年4月に螺旋を結成。その後、リザード、無限水路、天速などで活躍。突然、音楽活動を休止。長野県に移住後、靴職人として銀河工房を主宰。2020年、およそ30年間の沈黙を破り新作ソロアルバム「解放区1984」を自らのレーベル、ボーダーゼロからリリースする。北川曰く「自分の中のパンクロックを描いた架空のサウンドトラック」渾身の作品である。

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