【#Xレビュー 第2週】再生ハイパーべるーヴ『ぱんださんようちえん』

先週より、サイト横断型ク○スレビュー特別企画「#Xレビュー」が始動した。

選者/レビュワーの1人が好きなアルバムを1枚選び、それぞれのサイトやブログ/noteで毎週日曜の夜19時にリリースしていく。新たなる挑戦者/選者も、絶賛募集中!

前回の記念すべき第1回は、音楽ブロガー・EPOCALC氏チョイス作品、daniwellPの『MKLYPN』。初回にして、彼の枠組み破壊ものの自由さが炸裂しているので、是非チェックしてみて欲しい。

今回は、MOZAIC MAGAZINEにて公開の、ヨコザワカイト選定回。何にしようかかなり迷ったが、僕が“あえて”選んだ1枚はこちら…

再生ハイパーべるーヴ『ぱんださんようちえん』

さて、この奇盤をどう語るか。

文:ヨコザワカイト、EPOCALC、浅井直樹


ヨコザワカイト

このレビューを読んでいる人はね、ぱんださんに気をつけてね!

電波ソング界の名作・再生ハイパーべるーヴ『ぱんださんようちえん』を今更レビューしようというのだから、何かしらか新しいものを書かなければならない。

語りづらい作品ではあると思う。異常にナードな中毒性があり、聴いているこちらが恥ずかしくなるような“コント”も意味不明。しかしグツグツと多様なネタを煮込みながら、聴いている僕も煮込まれながら。なんとかして、この鍋沼から語るべき言葉を見出していくことが本レビューの使命である。

(;´Д`)ハァハァ

CD盤は絶版となっているが、BOOTHでダウンロード盤が絶賛販売中。購入者特典の「トリオ座談会〜ぱんだ制作後記〜」では、制作の裏側(ネタバラシ)が語られているので、1度聴いたら是非こちらもチェック。鍋の〆として味わい深い内容となっている。

▶︎ダウンロードLINK:https://booth.pm/ja/items/1416287

再生ハイパーべるーヴは、みらゐ氏とCampanellaのbermei.inazawa氏、TOx2RO氏の3名が中心になって結成されたサークル。みらゐ氏は、再生ハイパーべるーヴ、再生ハイパーミラーゔを経て、サイドプロテア名義で活動した。本名の石橋渡名義では、『英雄伝説 空の軌跡』、『イースVI ナピシュテムの匣』などの作曲に携わっている(wiki情報)。2014年2月に39才の若さで亡くなっている。ご冥福をお祈りいたします。

『ぱんださんようちえん』の発売は2002年。同人という自由な可能性を過剰に追求し作り上げられた傑作である。

僕の個人的な位置付けとしては、『絶望系 閉じられた世界』(2005)とか『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(2004)とか『ロクメンダイス、』(2005)とか、そういう(珍盤という文脈ではなく)奇書という文脈での奇盤だと思っている。オタクの内面をこねくり回した不条理性の美学。

本作では、(成功しているかはさておき)意味からの脱却が積極的に図られている。「ぱんださん」というモチーフが主体/客体を行き来し多用され、メタ的に引用され続ける。幼く無邪気なゆえ破壊的である存在(ロリ及びパンダ)への畏怖と歓喜は、まさに音楽という自由を前にした再生ハイパーべるーヴ自体を照応している。

ジャンルはダブ、ハッピーハードコア、ゲーム音楽等様々。電気グルーヴやYMOへの憧れも自称し、某アニメのパロディを「対策」するなど、噛めば噛むほど的な洒落た構成になっている。

聴いていて恥ずかしくなる点は、受け止め切らなければならない。『同人音楽を聴こう!(三才ブックス)』を参照するに、ライターのK氏曰く電波ソングとは「萌えるダメな歌でノリが命の」曲であった。恥ずかしいとは、なんとも愛おしい感情だろうか。しかし、ここでは衝動と作為とを区別するべきである。

1曲目「PANDA-RIDE」。意味不明なセリフに始まり、私たちに語りかけているのだと気がつかされる“仕掛け”になっている。ファニーゲームの日本公開が2001年だから、そんな影響は… 関係ないか。作者がぱんだ(具体的な不条理)を怖がる側に立っているのも、とてもナードな入れ子構造に聴くものを引き込み、いわゆる「狂い」を認知しやすく誘導している。

先ほど言及した通り「ぱんださん」というモチーフは、幼稚園の遊具(1曲目のタイトルがPANDA-RIDE)、動物のパンダ、幼児がなりきるぱんだ、僕たちが想像するパンダなどと様々なイメージを内包しディメンションを入り乱させることでチューニングを狂わせていく。

1曲1曲の解説は他の方に任せるとして、とにかく休む暇もない展開に初見では唖然とするだろう。途中に挟まれる会話パート(?)も、アニメのアイキャッチのようにスピード感を保たせている。

ちなみに、音楽嫌いで有名なサルバドール・ダリ曰く「音楽は、世界で一番頭の悪い人間のために作られたものだと思う。(中略)それも、超ゼラチン質の馬鹿である。」とのこと。ぱんだの鋭い爪に引っ掻かれ、だらだらと墜ちる脳味噌の上を、幼児が無邪気に駆けていく。それ戸惑いつつ肯定の目をする僕。大衆音楽という中途半端な堕落を見れば、気持ちが良いこと以上に音楽に真剣な何かがあるのだろうか。

この点に自覚的である点、本作はナードで良い。先ほど「ノリが命」と引用したがそこがオタク的共通性であり、ナードコア勃興の最盛期のアルバムとしても十分位置付けられるだろう。

最後の曲は、「猫鍋」。煮込んでいる主体は猫、煮込まれているのも猫。音楽と僕とは煮込み煮込まれる関係なのだ。「電波ソング」という枠組みを借りた『注文の多い料理店』の再解釈にも見えてきた。あれ、少しのぼせてきたなあ。

猫鍋 猫鍋 猫鍋 猫鍋


EPOCALC

大滝詠一の好んだ言葉に「ノヴェルティ」という語がある。
海外ではコミックソングのことを「ノヴェルティソング」と呼び、
それを受けて大滝詠一は自身の作風をメロディアスな「メロディタイプ」、コミックソング風の「ノヴェルティタイプ」の二つに大別した。

まあ、ここまでは少し気の利いた音楽ファンならだれでも知っていることだが、
「ノヴェルティ」には「面白い」以外の意味があることはご存知だろうか。

それは「目新しい」である。

前衛的な曲、すなわち目新しい曲は概してギャグのように聴こえてしまう。
それを日本人は「コミックソング」といって笑ってすましてしまうが、本当にそれで終わっても良いのだろうか。
大滝詠一はギャグに隠れてしまったコミックソングの前衛性も同時に指摘するために「ノヴェルティ」の語を使った、
というのが僕の持論だ。

そして、本作「ぱんださんようちえん」は先に述べたような「ノヴェルティ」の感覚に満ち満ちた電波ソング集である。
電波ソング自体がノヴェルティ・ソングの派生ジャンルとしても捉えられるが、
本作はそれが隠し持っていた前衛性及び芸術性を最大限に引き出した作品と言ってもよいだろう。

例えば、無意味な合いの手を大量に入れられるのは電波ソングの専売特許だが
その合いの手はアルバムの各所においてある程度統一されていたりまた随所に同じメロがしこんであったり、さながらSmile。

YMO「増殖」のパロディと思わしきコントも随所に挟まるが、それを「一種の電波ソング」と解釈し、
「増殖」では浮いている印象が否めなかったコント部分が、アルバムの一部分として綺麗にハマっているのは見事としか言いようがない。

そして歌詞には典型的な「オタク像」「アニメキャラ感」、さらには「二次創作的展開」がパロディ的に繰り出され、
これらの皮肉とも取れる内容は村上隆に通じる。

トラックも、例の合いの手やアニメ感を前面に押し出したボーカルのせいで分かりにくいが、
よく聴くと電気グルーヴ「Vitamin」、中期YMO、さらにはトラットリアレーベル周辺あたりを彷彿とさせるかなりクールなテクノ。
制作者の好きな作品の要素をこれでもかと詰め込み、それを何故か電波ソングに仕立て上げてしまったという印象である。

個人的なおススメは「かたつむりさん」。

このゆるゆるな題名からは想像できない、本格的なトラックにポエットリーリーディング的に乗せられるギャグ。
ギャグ感が強すぎてスルーしがちだが、「ポエットリーリーディングの逆再生」をしているのがかなり画期的。
これ以外の例は未だ僕は出会ったことがない。

それに続けられる「嘘ツキ鏡」はこのアルバムの良心ともいえるメロディタイプの楽曲。
サディスティックミカバンド「墨絵の国へ」を彷彿とさせる。

そしてこの次、中期YMO風のPink Metalic Crusadersまでの流れがこのアルバムの白眉であり、
日本の同人音楽史上最も素晴らしい十分間であると思う。

このアルバムまでの日本の電子音楽を電波ソングというフォーマットを用いて一括したような作品でもあり、
電波ソングの傑作にとどまらず、日本の名盤としても文句なく上げられる。

総じて、大滝詠一「Let’s Ondo Again」、Captain Beefheart「Trout Mask Replica」と並べて置いておきたい作品。
初見では意味不明かもしれないが、意外にも聴きこむたびに深みを増すタイプの名盤である。

EPOCALC’s GARAGE 本州一下らない音楽レビューブログ
https://epocalcgarage.hatenablog.com/

Twitter:https://twitter.com/insomniaEPOCALC


浅井直樹

主にゲームやアニメなどの音楽を手掛けるbermei.inazawa氏、みらゐ氏、そしてTox2RO氏の3人が中心となって制作された、2002年リリースの作品。   

本作をめぐるキーワードのひとつは「同人音楽」であるようだ。そのような言葉があることを今回初めて知った。同人音楽ということであるならば、本作の背景にはゲームやアニメ、漫画やライトノベルなどとリンクする音楽の作法や、それを愛好する同人サークルの趣味的な志向がまずある、ということなのかもしれない。しかし今回はそうした文脈は保留し、これを純然たる音楽アルバムとして聴いてみたい。

オープニングだが、「やっほー、ぱんださんだよお」という幼児の無邪気な語りかけから始まり、パンダを愛でるキャッチ―なダンスナンバーが主題として掲げられる。そして小ネタをはさんだ後に、「右手がパーで、左手がチョキで」という手遊びか音ゲーなどを思わせる楽曲がやはりダンスビートで続く。

ここまでの流れは、ゲーム音楽クリエイター集団の面目躍如といったところだろう。しかし彼らがその底知れぬ音楽的素養をみせ始めるのは、続くM5からではないだろうか。

可憐なウィスパーボイスによる歌メロが大変美しく、転調のさせ方も見事なM5。ノーブルな旋律の一方で、性急かつ繊細なリズムが刻まれているところにも職人肌を感じる。周到。

白眉はM8~M11の流れだろうか。夏休みをめぐっての思春期的な原風景が描かれるM9は矢野顕子が歌っても良さそうだし、美しくもどこか虚ろなメロディーのM11は大貫妙子に歌ってもらいたくなるほどの佳曲。

幼児番組的な喧噪が散りばめられつつも、本作は散漫な企画モノや色モノに陥ってはいない。それは取りも直さずM5以降に配された数多の高性能ポップスによることと思う。実に音楽的なアルバムなのだ。

さて、随所に配された道化について。道化であるのだからただ味わえばよく、深追いは無用と思いつつも、M12『もう限界』にだけ触れておきたい。

ゲームに興じる青年の依存症めいたモノローグなのだが、彼はいつまでもピコピコいって終わらないゲーム音の中、「もう限界」と最後に観念したようにつぶやく。その疲弊した様子から、ゲームに耽溺する青年自身の限界、またそうした息子の姿を蔑みながらいらつく母親の我慢の限界をも連想する。ゲーム音楽クリエイターのアイロニカルな自嘲。ここに本作の痛烈な批評性を感じた。こういうのがなければ道化は苦味を失い、当てはずれの客寄せパンダになってしまう。 

Twitter:https://twitter.com/Aber_Heidschi

次回は、浅井直樹さんのnoteにて公開予定!